2011年03月16日
震災
ども、マルモホーム監督の鈴木です。
私事ですが…私の妻の実家が宮城県仙台市宮城野区と云う町にあります。
そう、3/11(金)の東北地方太平洋沖地震で震度6強を受けた地域です。
私が静清バイパスを社用車の軽バンで移動している時に長い横揺れを感じ、県立病院のインターを降りて車を停めるとラジオから「東北地方で地震が…宮城県南部震度6強…静岡震度4…」と速報が流れ、急いで仙台に電話を入れたがコールはするが繋がらない(今にして思うと仙台は即座に停電になり電話が鳴らなかったようです)。
仕事中の妻に連絡をとり、お義母さんの携帯電話に掛けさせたが繋がらない。
何度も電話を試みるが次第に「現在繋がり難い状態に…」のアナウンスが流れるだけ…安否が判らない…
携帯のワンセグTVでの映像は地震の後に起こった津波の映像、ラジオから流れる「壊滅」の言葉…実家とも親戚にも連絡がつかない、何が起こっているのか…情報が…ない。
幾度と無く実家の固定電話・携帯電話に掛けるが繋がらない。仙台市の安否情報電話にも繋がらない。NHKの安否情報にも繋がらない。伝言ダイヤル「171」にも何も録音されていない、こっちの電話番号が判らなくなってる?(実際メモは持ち出せず、携帯の電源も無く判らなかったようだ)…無事なのか?
震災後から現地からの情報はTV・ラジオ・新聞のマスコミ報道に、インターネットからの個人投稿からの断片的な情報…マスコミは派手な災害の所ばかりどの局も取り上げるが私の欲しい情報は取り上げない、宮城野区はどうなっているんだ?中野栄駅の周辺は?…映し出される映像は津波に飲み込まれる家々…ネットには私たちと同様に安否を知りたい書き込み、現場からの画像、デマ、憶測、心無い中傷、テレビでも不安を煽るアナウンサーに知ったかぶりに解説をする学者先生…
被災地からの連絡もなく、僅かな情報で家族や友人・知人の安否を待っている人達は「そんな報道じゃない、安否が知りたいんだ!避難所を取材してくれ、1人でも多く知り合いの安否を知りたいんだ!」と思っていたに違いない。
でもどこかで映るかもしれない…僅かな望みの中で目にしたのは、実家の近くに新しくできたアウトレットセンターに激しく流れ込み車や建造物を押し流す画像…実家はあそこより低い場所じゃないのか?
3/14(月)夜にやっと妻の友達から連絡が入り、旦那さんが船で(普段は連絡線の船長さん)津波にさらわれて浮いている遺体の回収を依頼されてやっている話しや、中野栄駅周辺の現地での噂(現地も混乱していて情報が錯綜している)を聞く…「中野栄駅周辺は津波で水に浸かり、地面に横たわった死体が多すぎて報道されないんだ」…絶句
現地からもたされた悲痛な情報…更なる不安
日に日に増える死傷者と行方不明者の数字…現地に行けない(入れない)もどかしさ、頼む!なんとか生き延びててくださいっ!…祈り信じるしかない。
5日目の夜、妻が何十回目かの電話を叔母に掛けてみる…コールした!出たっ!繋がった!
叔母さんは避難所でボランティアで皆の世話をやっていたらしい、携帯電話も震災後初めて鳴ったとの事、今日になり部分的ではあるが電力が回復して現地でも一部地域で情報が取れ始めたらしい。
急ぎ実家へ連絡…「あんらぁ~おひさしぶり」と、妻によると今までの不安をよそに、かなりあっけらかんとした第一声だったそうな…
その後すぐさま私に妻から連絡が入り、私も実家に電話しましたが…ちょっと近所より盛土してあったから水の浸入もなく、家も無事で、避難所の配給ご飯が不味いので1日もしないで自宅に帰って来てたらしい…かなり元気だ(笑)
やはり電話は向こうでも繋がらず、この日に初めて繋がったらしいが今でも思うように電話は出来ていません。
あれだけの被害ですから電話線も携帯の中継器もパンク状態なのでしょう。
しかし、何はともあれ…安心した。
これからも大変だろうけど、出きるだけこちらからも支援していきたいと思います。
なんか…色々考えさせられました。
今でも私と同じように待っている方々がいっぱいいます。信じましょう…現地で頑張っている人々もいます。離れてても想っている人達もいます。何かしようと動いてる方々もいます。
がんばれ日本
最後に…この震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。
私事ですが…私の妻の実家が宮城県仙台市宮城野区と云う町にあります。
そう、3/11(金)の東北地方太平洋沖地震で震度6強を受けた地域です。
私が静清バイパスを社用車の軽バンで移動している時に長い横揺れを感じ、県立病院のインターを降りて車を停めるとラジオから「東北地方で地震が…宮城県南部震度6強…静岡震度4…」と速報が流れ、急いで仙台に電話を入れたがコールはするが繋がらない(今にして思うと仙台は即座に停電になり電話が鳴らなかったようです)。
仕事中の妻に連絡をとり、お義母さんの携帯電話に掛けさせたが繋がらない。
何度も電話を試みるが次第に「現在繋がり難い状態に…」のアナウンスが流れるだけ…安否が判らない…
携帯のワンセグTVでの映像は地震の後に起こった津波の映像、ラジオから流れる「壊滅」の言葉…実家とも親戚にも連絡がつかない、何が起こっているのか…情報が…ない。
幾度と無く実家の固定電話・携帯電話に掛けるが繋がらない。仙台市の安否情報電話にも繋がらない。NHKの安否情報にも繋がらない。伝言ダイヤル「171」にも何も録音されていない、こっちの電話番号が判らなくなってる?(実際メモは持ち出せず、携帯の電源も無く判らなかったようだ)…無事なのか?
震災後から現地からの情報はTV・ラジオ・新聞のマスコミ報道に、インターネットからの個人投稿からの断片的な情報…マスコミは派手な災害の所ばかりどの局も取り上げるが私の欲しい情報は取り上げない、宮城野区はどうなっているんだ?中野栄駅の周辺は?…映し出される映像は津波に飲み込まれる家々…ネットには私たちと同様に安否を知りたい書き込み、現場からの画像、デマ、憶測、心無い中傷、テレビでも不安を煽るアナウンサーに知ったかぶりに解説をする学者先生…
被災地からの連絡もなく、僅かな情報で家族や友人・知人の安否を待っている人達は「そんな報道じゃない、安否が知りたいんだ!避難所を取材してくれ、1人でも多く知り合いの安否を知りたいんだ!」と思っていたに違いない。
でもどこかで映るかもしれない…僅かな望みの中で目にしたのは、実家の近くに新しくできたアウトレットセンターに激しく流れ込み車や建造物を押し流す画像…実家はあそこより低い場所じゃないのか?
3/14(月)夜にやっと妻の友達から連絡が入り、旦那さんが船で(普段は連絡線の船長さん)津波にさらわれて浮いている遺体の回収を依頼されてやっている話しや、中野栄駅周辺の現地での噂(現地も混乱していて情報が錯綜している)を聞く…「中野栄駅周辺は津波で水に浸かり、地面に横たわった死体が多すぎて報道されないんだ」…絶句
現地からもたされた悲痛な情報…更なる不安
日に日に増える死傷者と行方不明者の数字…現地に行けない(入れない)もどかしさ、頼む!なんとか生き延びててくださいっ!…祈り信じるしかない。
5日目の夜、妻が何十回目かの電話を叔母に掛けてみる…コールした!出たっ!繋がった!
叔母さんは避難所でボランティアで皆の世話をやっていたらしい、携帯電話も震災後初めて鳴ったとの事、今日になり部分的ではあるが電力が回復して現地でも一部地域で情報が取れ始めたらしい。
急ぎ実家へ連絡…「あんらぁ~おひさしぶり」と、妻によると今までの不安をよそに、かなりあっけらかんとした第一声だったそうな…
その後すぐさま私に妻から連絡が入り、私も実家に電話しましたが…ちょっと近所より盛土してあったから水の浸入もなく、家も無事で、避難所の配給ご飯が不味いので1日もしないで自宅に帰って来てたらしい…かなり元気だ(笑)
やはり電話は向こうでも繋がらず、この日に初めて繋がったらしいが今でも思うように電話は出来ていません。
あれだけの被害ですから電話線も携帯の中継器もパンク状態なのでしょう。
しかし、何はともあれ…安心した。
これからも大変だろうけど、出きるだけこちらからも支援していきたいと思います。
なんか…色々考えさせられました。
今でも私と同じように待っている方々がいっぱいいます。信じましょう…現地で頑張っている人々もいます。離れてても想っている人達もいます。何かしようと動いてる方々もいます。
がんばれ日本
最後に…この震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。
2011年03月16日
桜の便り
静岡市駿河区の大浜街道沿いの桜です。
種類は判りませんが毎年この時期に満開になります。
場所は紳士服の「はるやま」西脇店の前で
和菓子の「三坂屋」さんのとなりです。
近所ではけっこう有名な桜で毎年楽しみにしています。
なかなか見ごたえがありますよ。